2022/06/26 20:45

私はパリに行くまでフランス語は全く喋れなかった。

(bonjourくらいは言えたけど・・・)

学校の勉強も苦手だったし、当然英語も・・・

「まあなんとかなるでしょ。」と思いつつ、パリへと向かった。

意外にもパリには多くの日本人が住んでいて、

パリに来た日本人を手助けしてくれる人がいる。

不動産探しは日本人向けの掲示板があって、

フランス語も英語も話せなくても住む場所は見つけることができた。

銀行も同じだ。日本人のスタッフが駐在してるから、

口座開設も難無く行えた。

住む場所、銀行口座の開設、携帯電話の契約と、

パリに住む必需品を言葉の壁を感じることなく準備することができた私。

しかし、「まあなんとかなるでしょ。」は次第に通じなくなってくる。

現地で出来た友だち(日本人)と食事に行って、フランス人の友だちを紹介されても、

フランス語も英語も喋れない私は、

ただひたすらに食事を食べることしかできず、毎回孤独を感じていた。

喋れない私はどんどん惨めな気持ちになっていった。

とはいえ、パリに渡った時に語学学習をしていなかったわけではない。

最初の6ヶ月は午前中は語学学校に通い、基礎の基礎から勉強した。

午後からはメゾンのアトリエに通い、服の勉強をした。

私が行った語学学校(CEBP)はフランス人が教師で、事務員として日本人がいた。

私の入学した基礎クラスには日本人と韓国人などアジア圏の人達が多くいた。

もう少し上のクラスにいくとヨーロッパ圏の人もいるような学校だった。

授業は教室で教科書を使用して勉強をする、日本の学習塾スタイルだった。

クラスメイトともすぐに仲良くなり、先生(ジョアンナ)からも凄く良くしてもらった(イジられてたともいう。)

授業は退屈だったけど、毎日楽しかった。

勉強をしながら生活していくうちに、フランス語をもっと喋れるようになりたいと思うようになった。

そんなある日、「エシャンジュ」という言葉を知った。

フランス語では「e’change」。

お互いの言語を学び合う機会のことを意味している。

カフェなどでお茶をしながら、相手からフランス語を教えてもらい、

私は日本語を教えるといような仕組みだ。

パリの有名大学には日本語コースがあって、日本語を教えてほしい、

学びたいと思っている学生が大勢いるそうだ。

私は銀行の口座開設でお世話になった日本人スタッフの方から、

学生を紹介してもらい、エシャンジュに繋がることが出来た。

エシャンジュの相手はケビンという青年で、

パリの大学で日本語コースを先行していて、日本語はペラペラだった。

日本が大好きだという賢い青年だった。

私の中で語学は、一緒に過ごしていていたら自然と喋れるようになると思っていたが、そうではなかった。

確かに言い回しは少しずつ理解できるようになりそうであったが、

私の場合は基礎がなかったため、教科書を使ってイチから一緒に学んだほうが理解度は早く上がっていくと言われ、

教科書を使った学習を始めた。

ケビンとの時間の他にも、職場のフランス人と日本人のハーフの青年(今では大事な友だち!)と仲良くなり、

フランス語に触れる機会が増えた。

つい同じような境遇の日本人と多くの時間を過ごしてしまい、フランス語を話す機会が減ってしまう・・・

留学あるあるをよく聞くので、私はとても良い環境にいたと思う。

ちなみに、その友だちとは今でも週一回、お互いに近況を話しながらフランス語を教えてもらっている。

これも大事な時間だ。

まさか自分が第二言語としてフランス語を習得することになると思わなかったし、

せっかく覚えたフランス語をこれからも忘れずに勉強していきたい思ってる。

今度フランス行く機会があれば、学んだ語学を生かして、旅行やビジネスに使えるといいな、と思っている。


というパリでの語学学習の日々のお話。