2021/01/17 19:37

パリに到着した私は、まず部屋探しから始めた。

拠点をホテルに置き、期限は2週間。

シャルル・ド・ゴールからはタクシーでホテルまで向かった。

(バスや地下鉄はスリが多いという口コミを見ていて、怖いと思っていた。)

ホテルで一息つき、PCを取り出して、早速部屋探しを始めた。

不動産情報が日本語で掲載されている、インターネット掲示板を利用して、一人暮らしの物件を片っ端から調べた。

条件は家賃が日本円で5万円以内のパリ市内にある物件にした。

なかなか好条件の物件は見つけられなかったが、ついにエレベーターがない、

7階建のアパルトマンの屋根裏部屋(Chambre de bonne)の物件が見つかった。

6畳一間でキッチン、シャワールームもあり、トイレは共同だった。

窓から外を見るとエッフェル塔が見えた。

初めてパリに暮らし始める人の8割はそのような物件に住むらしい。

それでも、新しい部屋と生活に期待が膨らみ、私はわくわくした。

そこを紹介してくれた、マダムのアダチさんは、

初めてパリに訪れる私にとても親切にしてくれ、

その後のパリ生活でも度々助けてくれた。

パリでの携帯電話の手配から、暮らすための知恵を教えてくれたり、

時にはホームパーティーにも誘ってもらった。

パリでの母のような存在である。

話は戻り、パリに到着したその日に、わたしは弟子入りするメゾンに挨拶に行った。

アトリエはsaint michel駅の近くにあり、

少し歩けばセーヌ川のほとりに行くことが出来るとてもいい場所にあった。

私はパターンの勉強をしたい!

とその日にボスに伝え、一から教えてもらった。

寸法のとり方、線の引き方、サイズの見方、時には厳しく、それでも丁寧に。

無我夢中で作業に取り組み、

少しでもボスの教えてくれることをものに出来るようにと頑張った。

3ヶ月たったある日、メゾンに20歳の男性が仲間入りすることになった。

イギリス人と日本人の両親から生まれたハーフのフランス生まれの男性だった。

ブランドのアバウトにも書いてある彼だ。

彼はおじいさん(日本人)の着ていた古着を大事にしており、

普段でも身につけていた。

古いものを現代に上手く取り入れる洋服の着方や、

日々の暮らしが衝撃的で、パリ生活の中で一番影響を受けた。

彼は当時はパリのピラミッドの近くにある

リックオウェンスのお店で販売をしながら、

洋服づくりを学びたいと私が働いているアトリエに来た。

洋服が好きという共通点があった私たちはすぐに仲良くなった。

彼にフランスで色々なところに連れて行ってもらった。

Fate de la musique(パリ市内の音楽祭)に行ったり、レコード屋に行き、

ビールを飲みながらレコードを漁り、

自宅に戻って、買ってきたレコードを聞いたり。

セーヌ川のほとりで語り合ったり。

青春時代を思い出すような毎日を送っていた。