2020/12/13 17:42

私の半生を綴るシリーズも、後編に差し掛かってきている。

飽きずに読んでもらえたら嬉しい。

私はパリに拠点を置いて創作活動を続けているメゾンで1年間留学をした。

そもそも何でパリなのかというと、ただただ憧れがあっただけという単純の理由だ。

NYはストリート、ロンドンはパンク、パリはエレガント(?!?!)なイメージがあった。

その頃私はNY発のブランドの代理店に転職し、そこでも生産管理の仕事をしてたい。

様々な経験をさせてもらい、何だかんだで6年間も生産管理の仕事に携わった。

生産管理の仕事をやりながら思っていたことは、工場さんに作ってもらい、

管理をする仕事はとても大事(これは本当に大事で生産管理の経験があって、

今も色んな仕事に対応できている)なのだが、

私は自分の手で物を作りたいと思い、海外に行こう!と思っていた。

まず物を作るにはパターンからだろ!と思った私は、

パターンを一から学ぶためパリに行こうと決めた。

しかし、パリ行ったとしても、何にもツテがなく、どこで仕事をしたら良いのかわからない。

そもそも、突然やってきた日本人の男を雇ってくれるのか。。

困った時はこの人!という大変尊敬している先輩に相談したところ、

パリで仕事をしている、いいメゾンがあると教えてもらった。

私はその日のうちに即メールをした。

こんな飛び込みのメール、果たして読んでもらえるのかな・・・

と思いながらも、一週間後に代理店の方からメールの返事がきた。

なんとパリ在住のデザイナーに連絡を繋いでくれるとのことだった!

こんな正体不明の私の話を聞いてくれるというのだ。

私は興奮した。

少しでも自分を知ってもらおうと、ポートフォリオと作品を用意して、

私は指定の場所まで向かった。

何を話したかは忘れたが、自分が縫製の技術があることを認めてもらい、

パリで働くことを許可された。

そこから、ビザの準備や会社を退職と手続きをして、即パリにゴーすることにした。

(その頃妻は妊娠中。今でも無謀だったと思っている。妻には感謝しかない。)

日本でフランス語をまっったく学ばず、行けばなんとかなるだろと思っていた。

フランス語で知っている単語は

ボンジュール。

私はパリに飛び立った。