2020/09/13 19:53

さて、また文化服装学院での思い出話に戻ることにする。

学校の授業は、洋服の歴史についての座学や、デザイン画の書き方など、服飾系の仕事をしていく上で必要な知識の習得と、技術の習得のカリキュラムが組まれている。

1年生の5月には早速、ギャザースカートを作る課題が課された。

裁縫初心者の私にとってはなかなかの難題だった。

今では衣装の仕事を引き受けられる程になったが、当時はパターンの見方やミシンの扱い・・・全てに置いて目一杯だった。

寝る間を惜しんで、寮でも課題をこなす毎日だった。

そんなある日、リョースケと学校からの帰宅中、最寄りの新宿駅に近づけば近づくほど、胃が痛くなっていった。

おかしいなー、おかしいなーと思いながら、新宿駅の改札を入ったが、

ホームに着いた途端、猛烈な腹痛でホームで倒れこんでしまった。

すぐにリョースケが救急車を呼んでくれていたようで、気がついたら病院で入院していた。

先生が入ってきて、十二指腸潰瘍の診断を受けた。

日々のストレスか食べ過ぎが原因ですね。と言われた。

「ストレスが原因だな」と心の中では思っていたが、友だちや両親が集まって、

心配しているのを見た私は、「確かに、最近ムッチャ食べてましたねー。」と言ってごまかした。

東京に来て負けたくなかった、私のせめても強がりだった。(バレてたかな?)

結局、1週間近く入院することとなり、その間にヒロさんやリョースケ、寮母さん、色んな人が毎日お見舞いに来てくれた。

物凄くみんなが心配してくれるので、なんだか申し訳ない気持ちになった。

後から聞いた話だが、文化服装学院の課題の厳しさに耐えられない学生は、大概GWまでに体調を崩したり、

嫌になったりして辞めることが多い。

ヒロさんも学校辞めるんじゃないかと、心配していたらしい。

当の私は、意外と楽観的に捉えていて、「大丈夫っしょ!」と思いながら、退院後も懲りずに深夜まで作業をした。

入院してクラスから遅れをとっていたから、絶対に負けたくなかったのだ。

その頑張りもあり、課題は無事に提出することができ、裁縫の技術も少しずつ上がっていった。

1年生の秋の文化祭ではファッションショーのコスチュームを作る係を任されるようになった。

(この係はクラスのみんなが携わりたい人気の係なのだ。)

これも後日談なのだが、担任の先生も、入学してすぐに胃潰瘍で入院したから、

もう辞めるかも・・・と思っていたようで、「それからここまでこれてすごいね!と褒めてくれたのを思い出す。

そして文化服装学院の2年生は、念願のアパレルデザイン科に進むことになる。

そこからまた忙しい日々が始まっていくことになる。